合意的現実と生け贄(犠牲者)
暴力は社会のなかでさまざまな形で連鎖していきますが、モラルハラスメントは、実質的に「見えにくい」(なんらかの正当性の裏に潜む)暴力全般を指すようです。それは周囲の状況が許して、はじめて可能なものとなるようです。
『モラル・ハラスメント』著者のイルゴイエンヌは、職場における精神的ハラスメントをこう定義しています。”「行動、言動、行為、身振り、文章による、人の人格や尊厳、または精神的・肉体的完全性を侵害して、その者の雇用を脅かし、また労働環境を悪化させる、あらゆる濫用的活動」”
職場などにおける「いじめ」の概念として、「モッビング(mobbing)」や「ブリイング(bullying)」といったものもあるようです。モッビングは「集団的いやがらせ、または組織と結びついた暴力で、肉体的暴力を含む場合もある」と定義され、ブリイングは「モビングより意味が広い。嘲笑や仲間はずれ以外に、モビング以上に性的ないやがらせや肉体的な暴力が含まれる」と説明されています。
フランスでは2002年1月に社会近代法が実施され、労働基準法122条,49から51は、「権利や尊厳を侵害し、その肉体的あるいは精神的健康を害し、あるいはその職業生活に影響を及ぼすおそれのある労働条件の劣化を目的とするあるいは
その効果を有するモラルハラスメントの積みかさねの行為」を処罰しています。その他、欧米を中心に各国で、すでに法律が出来てきているようです。ベルギー、ポルトガル、あるいはブラジル、ケベックといった場所においても、すでに法律が定められたか、あるいは定める必要性に迫られています。現在まで、モラルハラスメントは倫理的にそれとなく疑わしいものでしたが、今は処罰に値するものとなっています。
また、こうしたハラスメントによって企業の生産性が低くなることがわかってきたため、日本でも人事関係の仕事をされている方は、その対策に精力的に取り組んでおられるかと思います。(ちなみにイルゴイエンヌは、日本のモラルハラスメント状況について酷いと語り、法が定められるよう働きかけることが得策だと言っています。)
会社や学校、家庭や恋愛など、第三者が介入しにくい生活空間のなかで行われる陰険なイジワルや洗脳操作は、意外と身近にあるような気もします。私のまわりにも、姑(旦那の継母)の家族ぐるみの陰湿なイジワルに遭い、精神的に追い詰められている女性がいます。旦那が気が弱いようなので、なかなか身動きがとれません。こうした時に、(SM的なニュアンスを超えて、)モラルハラスメントに対する認識が社会にあれば、勇気づけられます。
職場におけるモラル・ハラスメント対しては、すでに各国で次のような法的規制がかかっています。
(2006年 大和田敢太さんまとめ)
ドイツ:人格権保障による規制(判例)・労安法(1996年)・集団的規制
イタリア:mobbing概念による規制(判例)
(モビングとは、集団的いやがらせ、または組織と結びついた暴力で、肉体的暴力をも含む場合もある。)
イギリス:嫌がらせ規制法(1997)
フランス:精神的ハラスメント禁止立法(労働法典・刑法典、2002)
スウェーデン:職場における迫害に対する措置に関する政令(1993)
ベルギー:職場における暴力、精神的ハラスメントおよびセクシャル・ハラスメントからの保護に関する法律(2002)
オランダ:平等待遇法(1994・2003・2004)
フィンランド:労働安全衛生法(2002)
アイルランド:職場いじめ防止指針(2002)
カナダ:失業保健制度での救済制度
カナダ・ケベック州:心理ハラスメント規制立法(労働基準法、2002)
オーストラリア:職場でのストレス概念による救済(判例)
アメリカ:職場ストレスに対する行政施策
デンマーク:雇用および育児休業へのアクセスに関連する男性と女性の平等な待遇についての法律(2005)
ニュージーランド:ハラスメント法(1997)
EU:指令(1989/391)から欧州基本権条約
「職場におけるいじめ」(欧州安全衛生機構)
ILO:「職場における暴力」
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職場のいじめに対する各国立法の動き
http://homepage3.nifty.com/hamachan/jisatsuken.html
エンパワーメント
http://www5a.biglobe.ne.jp/~with3/femico/enpower.htm
アメリカ地域保健分野のエンパワーメント理論と実践に込められた意味と期待
http://www.j-shimizu.net/modules/bwiki/index.php?EmpowermentJjhpe
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フランスの心理学者、イルゴイエンルはモラル・ハラスメントについて次のように定義しています。(2006年2月のイルゴイエンヌ日本講演のレポートから部分的に抜粋)
--モラ・ハラは周囲の状況が許して、はじめて可能なものとなるのです。--
モラル・ハラスメントの定義
モラルハラスメントは狡猾で、残酷で、陰険な暴力です。それはほとんど目に見えないだけに、いっそう危険なのです。ちょっとした数回にわたる攻撃によって行われますが、そういった攻撃はしばしば証言をともないません。言葉によらない攻撃もあります。あるいは二重の解釈のできる内容であるという理由から、曖昧なものです。別々にみればそれぞれの攻撃はそう深刻なものではありませんが、頻繁に繰り返され小さなトラウマの積み重なる効果こそが攻撃となるのです。
仕事におけるモラ・ハラは次のように定義されます。「繰り返し、あるいは体験によって、尊厳あるいは被雇用者の精神的あるいは肉体的に存在を脅かす、すべての悪意ある行動(動作、言葉、振る舞い、態度…)」。それは仕事を脅かし、仕事の環境を劣化させます。
少しずつアイデンティティー、役割、職、地位、イメージをうばい、社会から少しずつ忘れさせ、象徴的に消し去ってしまうことによって、当事者を集団から追いやることがモラ・ハラの目的です。
すべての方法は加害者にとって都合のいいものです。加害者は標的とした人物の崩壊を目論み、目標と利益を得ようとして有害な行動をとることを気にかけません。
中略)
ハラスメントの状況の進展
ハラスメントはちょっとしたことから生まれ、陰険に広がっていきます。初期段階では、それに関わる人は相手の気分を害することを望まず、ごく気軽な気持ちで当てこすりをしたりします。次に、これらの攻撃は多様なものとなります。犠牲者は長期にわたって定期的に、不利な状況に追いやられ、敵の策略に屈してしまいます。
ある集団内に、対立関係が生まれることはよくあることです。苛立ちと不機嫌のはずみから来る皮肉や指摘はそう意味あるものではありません。ましてやもしその後に謝罪が行われるならば、なおさらです。攻撃は自尊心を傷つける言動、侮辱の繰り返しによって行われます。人格の破壊を繰り返すのは、何の遠慮もなく行われる侮辱、恥辱の繰り返しです。
卑怯さ、エゴイズム、あるいは恐れから、職場の取り巻きの人たちは距離を置きたがります。このつりあいのとれない破壊的な相互作用が生じる時、もし外部の人間が精力的に干渉しなかったら、それは拡大されるばかりでしょう。
その現象は循環する現象なので、対立の原因が誰にあるか探ってみたところで、なんの役にも立ちません。時には対立の原因は忘れられることさえあります。加害者が故意にとる行動は、犠牲者の不安を引き起こす目的で、それは被害者において防衛的態度を引き起こし、その防衛的態度は新たな攻撃を生み出すのです。犠牲者はどんなことを考えだしても、どんなことをしても、加害者はすべて逆手にとって犠牲者を陥れます。その策略の目的は、被害者を当惑させ、完全に混乱させ、過失を犯すように導くことです。
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以下は仮説です。
モラルハラスメントを認識していくにあたって厄介なのは、いわゆる良識観念や励ましの言葉などが、かえって障壁を生み出すことです。一般的な良識や人生論的なものは、それに背いたときに世間から非難されかねないといった意味で圧力をもっています。それが問題を見えにくくしてしまいます。また言葉は、言い方や受け取りかた次第で意味が違ってくるといった曖昧さをもっています。
たとえば「辛抱するのが美徳」という観念がありますが、それだけでは漠然としています。「辛抱すれば味が出る」といったことは人生の教訓として大切なことかもしれませんが、その一方で、辛抱できない人やその観念に異を唱えるものを、(その人の状況を無視して)世間に不適合な人間として批判することができます。
時代をさかのぼれば、そうした漠然としたなかにもモラルを持った大人(知恵を持った人。たとえば、お婆ちゃんやお坊さんなど)がいて、生活に奥行きを持たせていたのかもしれません。しかし現在では、そのような土壌あるいは共同体そのものは機能せず、個人主義や能力主義的な傾向が強まり、文化は多様化しているようでも、実際にフツーの生活における文化的な質は掴みにくいものです。不安→全体主義へ?
合意的現実(「皆に現実と信じられているもの」)が、あらゆる意味での「権力」への執着に傾向するとき、生活や社会に漠然とした闇が現れてきます。それが漠然としているのは、権力やいわゆる現実といったもの自体が漠然としているからでしょうか。
生活のなかで私たちは、仲間はずれにされたり自分の立場を揺るがすようなものには出来るだけ関わりたくありません。それは端から見ておくのがベストです。また、そういった自分を正当化することも多々あります。
しかし着目したいのは、その正当化に伴う微妙なトリックです。それは私たちの心理や精神に複合的に絡まる巧妙なトリックです。それについて考えることは疲労を伴い、またそれについて考えることはバカバカしかったりキモかったりします。ともかくそれはあらゆる手を使って、私たちの無自覚な思考の隙間に入り込み、機械的に操作を促す自動連鎖のようなものでしょうか。
モラルハラスメントの特徴は、みんながどう動くのかということを前提にそれを逆手にとって不当を正当にする思考のトリックのようなものかもしれません。それが権力を得るテクニックとして周囲を巻き込んでいきます。それはもはや社会のなかで抽象的です。被害者、加害者、周囲のものはどこにでもあります。
権力は基本的に不安が生み出した武器でありコマと言えます。それを「現実」と呼んで執着することは、成長のプロセスにおける混乱を拒むといった意味で自虐的(?)です。
しかしそのことを認めることができず(無自覚)、ただ権力を身にまとい、そして他者に投射した自らの本質(己の無自覚的な弱さ)を慰めるかのようにその場主義なパワーに依存し虐めを繰り返す(投影、依存、ゾンビ化)のではないかとみています。そのパターンは私たちを性的に魅了するある種の死のイメージです。
「騙されて操作されていることに気がついていない思考停止状態」というのは、マンガなどでは夢遊病者のように描かれたりします。それはオカルティックだったり、白昼夢のようなものかもしれません。 文化人類学者のレヴィ・ストロースは魔術について、象徴的効果を「魔術が存在するためには、魔法使いと犠牲者、魔術を可能にする集団的見解が必要である。」と語っています。
ニュースを見れば、過労でバスの運転手が居眠りをして事故をおこしたり、積載重量オーバーのトラック荷物が高速走行中に落ちたり、タイヤが外れたりしています。「下請けの小会社では、まともに仕事をしていたのでは儲けになりません。」というような風潮は、意外と普通にあります。

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